研究ノート:星加良司『障害とは何か』―ディスアビリティ理論の再検討Ⅰ #1

考察・解説

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第2章 ディスアビリティ理論の再検討Ⅰ

 この章では、ディスアビリティ理論における不利益概念をどう把握すべきかを検討する。

・第1節では、社会モデルの理論構成では、障害者が経験する不利益を特有なものとして同定できないことを確認する。
・第2節では、不利益概念を適切なかたちにすることを通じて、不利益の同定に関する議論の前提を示す。そして、次の段階の問いを出す。

第1節「社会モデル」の論理構造とその限界

 この節では、ディスアビリティを「社会に起因する不利益」とみる「社会モデル」は、理論として破綻していることを示す。次に、インペアメントの存在を根拠にディスアビリティの固有性を示そうとする議論が失敗していることを示す。

1.社会原因論の錯誤

「社会モデル」は、個人とは無関係な社会にディスアビリティの原因を求めるものと理解されている。

(例)障害者の村
この村の住民の大多数は車椅子を使用する障害者である。建物は、彼らに適した仕方で設計されている。そこでは、「健常者」は不便な生活を強いられ、車椅子使用者に保護される「障害者」となっている。 この例を持って「ディスアビリティの原因は個人の側にはない」と主張されている。

 この主張は、「個人モデル」を支持する側からもできる。不利益が存在するのか否かは、その社会の成員がどのような個人であるかに依存する、と。また、その意味で、ディスアビリティの原因は個人の側にある、と。

 これらの論理は、「個人」と「社会」という二つの要素の片方を所与として固定した場合、可変的である他方の要素を変化させることにより、個人の置かれている状況が変化するということを表現しているに過ぎない。つまり、この理論を持って、不利益の原因が「個人」または「社会」であるということを含意することにはならない。

 「社会モデル」はディスアビリティを個人の属性とは無関係な社会の問題とすることでそれが置かれた文脈に焦点を当てていない。不利益の原因を二元論的図式で把握するアプローチは、認識論として妥当では無いのだ。 不利益は、社会的障壁のみによって生じているのでも個人の機能不全のみによって生じているのでもないのだから。すなわち

・車椅子使用者⇔階段
・車椅子使用者⇔階段を登れることに価値がある社会
・階段を登れる人⇔登れない人
 
 これらの関係において、階段を登れないことが不利益として感じられるからである。

 またディスアビリティの原因を社会に求めることによっては
・ディスアビリティとは何か
・ディスアビリティは解決すべきか
といった問いに回答できない。
 ディスアビリティは社会的要因によって影響を受けているため、原因帰属として記述することは可能だが、それは「ディスアビリティは社会現象である」と言っているのと同じだ。 これにより、認識の転換はできても、ディスアビリティの同定に関しては貢献できない。


 確かにストーンやフィンケルシュタインの議論は現行の資本主義的社会体制におけるディスアビリティの特質に説明を与える。

【ストーン】 労働に基づく分配とニーズに基づく分配との間のジレンマ解消のため、行政上の必要からディスアビリティカテゴリーが出現した。
【フィンケルシュタイン】 資本主義的生産の必要から「障害者」カテゴリーが発明され、ここの障害が医学的に分類されていった。

 しかしこれらの議論は、ディスアビリティという社会現象の輪郭を示すものでは無い。


 一方でオリバーは、ディスアビリティは「資本主義社会によって特定の形式で生産されている」と主張する。
 この議論にみられるような「ディスアビリティが社会的に構築されている」という主張は、そのように構築された不利益を解消すべきディスアビリティとして特定するものではない。
 すなわち、「社会モデル」の理論そのものから直接的に導かれる認識は、ディスアビリティに対する社会の関与の仕方であり、社会に原因を持つという事実によりディスアビリティが記述的に特定可能であるということでは無い。
 これについて「社会モデル」の論者たちは自覚的では無い。「ディスアビリティ」現象を原因帰属の議論により特徴づけることが出来るという想定は誤りである。

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🟦パーソナルノーツ1

もう一度、星加の議論を引用する。

これらの論理は、「個人」と「社会」という二つの要素の片方を所与として固定した場合、可変的である他方の要素を変化させることにより、個人の置かれている状況が変化するということを表現しているに過ぎない。つまり、この理論を持って、不利益の原因が「個人」または「社会」であるということを含意することにはならない。

そして、不利益は、社会的障壁のみによって生じているのでも個人の機能不全のみによって生じているのでもないと述べ、
・車椅子使用者⇔階段
・車椅子使用者⇔階段を登れることに価値がある社会
・階段を登れる人⇔登れない人
 これらの関係において、階段を登れないことが不利益として感じられるからであると主張する。

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